16世紀、国王フェリペ2世がマドリードに永続的に宮廷を置くことを選んだ際に、大勢の貴族がマドリードに移り住み、郊外に農園の建設が命じられましたが、それらは後に休日を過ごすための別荘になりました。現在その一部は、歴史と自然が共存する公園になっています。
このチャンスは、マドリードの知る人ぞ知る場所の一つ、キンタ・デ・ロス・モリノスに出かける最高の口実にもなります。現在では市内中心部から至近距離にあり、地下鉄スアンセス(Suanzes)駅に隣接していますが、かつてこのエリアは街の郊外で、多くの貴族が夏の別荘を所有していました。20世紀初頭、トーレ・アリアス伯爵が複数の土地を建築家のセサル・コルトに寄贈し、コルトは隣接する土地を購入して自分の地所を広げ、邸宅を何軒か建設しました。現在ではその一軒にエスパシオ・アビエルト・キンタ・デ・ロス・モリノス(Espacio Abierto Quinta de los Molinos)があり、幼児・青少年向けの常設プログラムを実施している文化センターになっています。演劇、ワークショップ、クリエイティブダンスの連続イベントなどが開催されている他、飲み物や軽食が楽しめるカフェ=ガーデンもあります。同店で提供されているものは、社会的排除リスクのある若者にトレーニングを行っているキンタ・コシーナ(Quinta Cocina)で作られています。
25ヘクタールの公園には広大な林もあり、有名なアーモンドに加え、オリーブ、スギ、プラタナス、ライラックなど、数多くの植物種が見られます。小道がたくさんあり、散策していると、池、噴水、井戸が見つけられます。周囲に小さなスタンドがある芝生のテニスコートまでありますが、現在は使用できません。それなら、この場所の名前の由来になっている2基の風車(モリノス)を探してみませんか?灌漑用の取水のため、1920年頃にアメリカから運ばれてきたものです。
カシの木と滝に囲まれ
キンタ・デ・ロス・モリノスは、フェリペ2世がマドリードを都に選んだ後に、貴族が当時のマドリード郊外に手に入れたいくつもの別荘の一つに過ぎません。用途は娯楽でしたが、農園としても機能していました。ほとんどの別荘が全盛期を迎えたのが19世紀で、フランシスコ・ゴヤが住んでいたカラバンチェル・バホ(Carabanchel Bajo)のキンタ・デル・ソルド(Quinta del Sordo)など、その多くが今では存在しませんが、見学可能なものもあります。
同じくアルカラ(Alcalá)通りにあり、キンタ・デ・ロス・モリノスのほぼ隣に位置するキンタ・デ・トーレ・アリアス(Quinta de Torre Arias)にも、アーモンドの木が植えられています。初代ビジャモル伯爵が1580年頃に建設した最初のカニジェハスの別荘は、後に何度も改修されました。
庭園には樹齢300年のカシなど、51種類の植物があります。また、葉がハート形で愛の木とも呼ばれるライラックや、カナメモチなどもあります。水曜日と日曜日には、環境エデュケーターによるガイド付き見学が行われることがありますが、ここでぜひ行いたいのは、時計台のある赤い館での昔の生活を想像することです。中に入れないのが残念!館の中にはペルシア様式のドレッシングルームもありました。
サラマンカ(Salamanca)地区にあり、M-30号線に隣接するオアシスそのものであるキンタ・デ・フエンテ・デル・ベロ(Quinta de la Fuente del Berro)は、マドリード東部に建てられた初期の別荘の一つで、その歴史は17世紀に遡ります。
当初は王室の所有でしたが、19世紀にブルジョア階級が娯楽を楽しむ公園になりました。当時この別荘には、なんと遊園地もあったのです!ヌエボス・カンポス・エリセオス(Nuevos Campos Elíseos)と呼ばれ、メリーゴーラウンドやジェットコースターがありました。今日では高低差のある地形で、すべてが水を中心に展開し、池、小川、滝、噴水が土地全体に点在しています。
散策の途中で目にするものの中では、館、詩人のベッケルとプーシキンのモニュメントが際立っています。しかし、最も有名な住民は、公園をのびのびと歩き回るクジャクです。
過去の思い出
カシノ・デ・ラ・レイナ(Casino de la Reina)は、1817年頃、マドリード市役所が国王フェルナンド7世の2番目の妻、イサベル・デ・ブラガンサ王妃に贈った別荘で、大きな庭園がありましたが、現在その規模は縮小されています。別荘があった場所は、後にマドリード中心部のエンバハドーレスのロータリーと小門、ロンダ・デ・トレド、リベラ・デ・クルティドーレスの境界になりました。
様々な活動が行われている文化センター、子供の活動用のカシータと呼ばれる施設、そして緑の遺産として、エンジュ、ベニバスモモ、ハックベリー、ガジノキなど、200本以上の木々があります。昔は邸宅、温室、大きな川、堤防、2隻のこぎ舟があり、最上部にはあずまやがありました。
最初の所有者がフリアス公爵夫妻であったウエルタ・デ・ラ・サルー(Huerta de la Salud)を見学するには、オルタレサ(Hortaleza)地区へ足を運ばなければなりません。19世紀末に法律家のペドロ・トバルが入手して、農業-工業複合施設に変え、大きなサイロがその証拠として残っています。多角形の塔、1970年代になくなってしまった穀物倉庫と鳩舎の3つのモニュメントが、当時は賞賛を集めていました。そこにはコウノトリがとまり、住民に春の訪れを告げていたのです。現在では文化センターになっています。
王家の休息
カラバンチェル(Carabanchel)地区のキンタ・デ・ビスタ・アレグレ(Quinta de Vista Alegre)は1802年に建設されましたが、その全盛期はフェルナンド7世の4番目の妻、マリア・クリスティナ・デ・ボルボンの夏の邸宅であった19世紀の中頃でした。後にサラマンカ侯爵が2500万レアルで購入して所有しました。
現在、地方革新・育成施設の本部になっている館には、貴重な美術コレクションが所蔵されていました。2021年以降、庭園の見学が可能になっています。時代が移り変わる中、何人もの所有者のために様々な建築家や園芸家が設計した庭園には、日陰、幾何学、外来植物、装飾用、田舎風、実のなる植物など、実に多種多様な要素が組み合わさっており、エスタトゥアスの広場、小川、花壇もあります。
マドリードで保存されている最後の歴史的な別荘を訪れるには、1717年に建設されたキンタ・デル・ドゥケ・デル・アルコ(Quinta del Duque del Arco)があるエル・パルド(El Pardo)に出かけましょう。庭園の設計はクロード・トゥルシェが行い、国王フェリペ5世の好みに合わせてフランスの影響が見られますが、スペインとイタリアの特徴も兼ね備えています。テラス、彫刻、池があり、後に植えられた巨大な針葉樹が、宮殿(見学不可)と同じぐらい注目を集めます。一目見ただけで、サルスエラ宮殿と酷似していることがわかります。